アートという生き方

アートという生き方

2019年4月11日 0 by_ 田上 晃庸
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○アートへの入り口

私がアートを意識したのは、今から8年前、東日本大震災がきっかけだった。震災の発生であらゆる日常に変化が生じ、日々報道される深刻な被害状況を知るにつれ、カメラを自身の楽しみから、ポジティブインパクトを与える要素にできないだろうか、と考えるようになった。
多くの人に教えを請い、情報収集した。ワークショップで教えを受けた写真家の吉田繁氏は、世界のアートマーケットに挑戦し、コンセプトの重要性を訴えていた。そこで、吉田氏をディレクターとし、世界のアートマーケットに挑戦するSAMURAI FOTOの立ち上げに参加した。
私は、歴史や文化に疎かったため、読書とともに京都や奈良を旅した。読書では、アート関連の書物に加え、主に小室直樹氏の原論シリーズを読みふけった。小室氏の言説の成否を判断できるレベルにはないが、膨大な知識から論理的に、簡潔に展開される内容は、とても勉強になった。欧米を視野に入れて活動される方は、キリスト教的世界観を知っておいて損はないと思う。

 

○仏像との出会い

それらを読み解くに連れ、信仰とアートとの関連性に興味を持った。もともと、寺院にご縁もなく、仏像の知識もなかったが、歴史を意識した上で拝見する仏像からは、単なる彫像としての美を超えて、当時の人々の色んな思いを伝えているように思えてならなかった。私は、仏像をモチーフとすることにしたが、葛藤もあった。いざ、仏像を撮影しようとしても、簡単には撮影できない。また、信仰の対象である以上、そこには多くの信者の方との関係を考慮しなければならない。自分自身の表現が、不敬とならない保証はどこにもないのだから。実際、作品制作の大半は、寺院関係者との交渉だった。
最初に仏像をモチーフとしたとき、私なりの問題意識は、グローバリズムとナショナリズムとの相克だった。今では、トランプ大統領が現れ、誰もが意識する問題となったが、2014年の時点では、あまり理解されなかったように思う。これらの相克の背景には、実は信仰が大きく関係しているのではないか、というのが私見であった。この点の細部については別のところで書く機会があればと思う。
私の挑戦は、端的に言うならば、伝統と革新に矛盾することのない新しい価値の創造(アウフヘーベン)は可能か、ということである。それが、私のアートへの取り組みの第一歩となった。

 

○作品制作

特段の修行をした訳でもなく、十分な知識もない自分が仏像をモチーフとするには、やはり自分の直感に頼らざるを得ない。私なりの尊崇の念をもちながら、偶然を頼りに仏像の背景を組み上げ、新たな世界観を作ることにした。ここで、写真を加工することは、好ましいことではない、もしくは邪道である、というのが一般的な理解である。そのことは重々承知しながらも、複数の写真から要素を切り抜き、時には変形させ、沸き起こるイメージを具現化していった。紆余曲折しながらも、世界観、という意味において最初に完成させたのが、この作品である。

 

 

 

○ダウン症との関わり

当初は、お寺での撮影などできるはずもなく、主に東京国立博物館で撮影した仏像を使用した。その頃は、米国ヒューストンのFOTO FESTに参加するための作品を必死で制作している状態だった。そんな中、ダウン症の娘さんがいる友人から撮影を頼まれた。ダウン症のことを知ってもらう冊子を作りたい、というものだった。理由を尋ねると、彼女は娘がダウン症と分かった当初、正しい情報の入手が困難で、とても苦しんだ。しかし、実際に育ててみると、その苦しみは情報不足による部分が多かった。だから、これからの新しいお母さんに、私のような苦しみを感じてほしくない、という趣旨だった。私は、そのような苦しみに気を配ったことのない自分が恥ずかしかった。私のアートの目的の一つである、ポジティブインパクトを与えるという意味でも、是非ともお手伝いしたいと快諾した。
撮影方針を検討する中で、『中立』に関する議論は、私にとって思い出深いものとなった。より多くの人に伝えるには、中立的な視点から制作する必要がある。では、中立とは何か?中立を意識してリアルに撮影する、など、文言としては色々と出てくるが、撮影する私の気持ちをどこに置くべきなのか。関係者に色々とお話を伺うと、そもそも冊子が必要なのは、ネガティブな情報に溢れているからだった。中心を決定するには、その外縁を規定する必要がある。真の中心がどこかにあるとすれば、それは、見えない外縁を想定した上で、初めて導き出せる。私は、見えている外縁とは、ネガティブな情報に溢れた状況であり、その中心は、真の中心から大きくずれているはずだ、と考えた。要は、自分なりに可愛く、生き生きした様子を撮影すれば、真の中心に近づくはずだ、という単純な結論だった。
撮影を通して、多くのダウン症の子達と触れ合うことができた。自分には特段の偏見はない、と思っていたが、やはり偏見というか、無知な部分があった。撮影を通して見た彼らは、とても人懐っこく、明るく、素直で、まるで私が励まされているような時間を過ごしたからだった。無事刊行された冊子「ダウン症のあるくらし」は、多くの方に喜んでいただけたようで、今では、多くの病院の遺伝カウンセリングで活用されている。私にとって最も成功したアート活動となった。2019年3月には、日仏交流160周年記念として「ダウン症のあるフランスのくらし 日本のくらし」の刊行にも携わることができたことを、とても誇りに思う。

 

 

 

○十宜屋 牟田誠一郎氏との出会い

冊子「ダウン症のあるくらし」に携わる中、関係者の方から個展を開いてはどうか?とのお話を頂いた。青天の霹靂だった。上述のように、FOTO FESTの準備の真っ只中、かつ、作品制作を続ける自信も無い中で、個展開催など考えてもいなかった。しかし、思い切って個展開催を決意する。とはいえ、開催会場一つとっても全く当てがなかった。ただ、漠然と小さな喫茶店のような場所でもいいから、日本文化の総本山である京都で開催したいと思っていた。しかし、ネットで探してもあまり情報を見つけられないのが京都ならでは、というところか。そんな中、偶然知り合った方が、京都に友人がいるとのことで、紹介してくださった。それが、ギャラリー十宜屋の牟田誠一郎氏であった。
正直、私は期待していなかった。そもそも紹介すると言ってくれた方も初めてお会いした方、また、十宜屋は、海外からのお客様で予約が一杯の祇園にある超有名旅館である。牟田誠一郎氏の名前を検索すると、元々金融界の著名人で、デリバティブ関連書籍を多数執筆されている方だった。調べれば調べるほど、相手にしてもらえるとは思えなかった。
ところが、ここで奇跡が起こる。なんと牟田氏は、私の話を聞いてくださっただけでなく、個展会場も紹介して下さったのである。しかも、紹介してくださったのは、知恩院の近代的なギャラリーだった。知恩院といえば、浄土宗の総本山であり、小さな喫茶店とは正反対の場所だった。そのお話を頂いた際、腰から砕けたことを今でも鮮明に思い出す。とにかく、会ったこともない私のために動いて下さったことへの御礼をするべく、出来たばかりの「ダウン症のあるくらし」を携え、慌てて京都にご挨拶に伺った。そのお人柄は、全く飾るところのない気さくな方で、重ね重ね驚いた次第であった。それ以来、牟田氏には大変お世話になると共に、様々な形でご支援してくださっており、ひたすら頭の下がる思いで一杯である。

 

○アートとは?

なぜ、私が作品制作の開始時点の動機、ダウン症との関わり、牟田誠一郎氏との出会いを述べたのか?当初、アートの定義を書籍に基づいて論理的に構築していった。そして、自分なりに実践してみた。その過程で得られたものは、多くの方との関わりを通じて広がるコミュニケーションであった。実は、作品制作過程でも、奇跡のような偶然が多々重なって初めて作品が生まれている。今後も作品制作を継続していく中で、更に多くの物語が生まれ、この物語が、今後の私の作品の背景に現れてくると考えている。そのとき、私の作品は、本来的なアートとしての意味を持ってくるのではないかと思う。自分の生き方が問われている。それがアートとして結実するのではないだろうか。

 

田上晃庸 フォトアート展 Flow-道- 開催のお知らせ!

2019年 5月3日(祝日)~5月19日(日)の期間、知恩院 和順会館 ギャラリー和順にて作品展が開催されます。詳細は以下のリンクからご覧ください。

 

 

 

Akitsune Tagami 田上 晃庸 (たがみあきつね・Akitsune Tagami ):
1972年生まれ。写真作家。無計画な行動に基づいて、流れに身を任せつつ偶然の出来事を意識した作品制作を好む。毎年5月初旬〜中旬にかけて、京都知恩院和順会館にて個展開催。

Web= http://www.tagami-foto.com/

Facebook= https://www.facebook.com/akitsune.tagami

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